アカデミズムの絶対的権威に対抗した写実主義がさらに発展し現実の社会のありふれた風景に光をあて、季節や時の移ろいをカンヴァスに描きこむこと、これが印象主義の中核をなしている。
1860年代初めモネやバジール、セザンヌ、ゾラなど多くの若者たちが夢と希望を胸に故郷を離れパリへやって来た。彼らを待っていたのはシスレーやドガ、ルノワールたちだった。
彼らはグレールの画塾やアカデミー・スイスで運命的な出会いを果たし、すぐに意気投合した。
彼らを導いたのはルーブルの師だけではなかった戸外の制作と新しい世界を示してくれたミレー、コロー、ドービニー、ブーダンなどがいた。
彼らは自然の光のきらめきと鮮やかさ、時の移ろいの素晴らしさを自らの作品を持って教えてくれた。若者たちはそれぞれにサロン(官展)への挑戦を始めるのだがサロンでの評価は散々なものであった。
まもなくパリは、普仏戦争、パリ・コミューンの内乱に見舞われが、彼らの夢はくじけることがなかった。平穏になったパリで自主運営の展覧会を開催するのである。
1874年、後に第一回印象派展と呼ばれる展覧会がパリで開催される。
しかしここでもモネが出品した「印象・日の出」が批評家たちの酷評の的となり「印象などとばかげた主題だ!作品も未完成ではないか」と散々であった。
モネたちは第3回展から自ら「印象派」と名乗り世間にアピールすることになった。
今日、世界中で印象画の企画展が開かれ雑誌や画集で印象画家の紹介が行われ、彼らの作品が高額で取引される様を見るといささか奇異に感じることもあるが、この100年の間に印象派に対する深い理解と評価が進み、人々の美意識も大きく変化したことを物語っている。
われわれ日本人も、印象派絵画との関わりは深く、絵画芸術を鑑賞するときの窓口が印象派作品となっている。もちろん同時代に活躍した画家たち全てが印象主義を掲げていたわけではないが少なからず印象主義の影響を受けていたといえよう。
黒田清輝、久米桂一郎、和田英作、青木繁、安井曾太郎、佐伯祐三など等、有名無名を問わずその影響を受け今日の日本絵画の中にも世代を超え印象主義が息づいているのである。
モネ | |
印象・日の出 | アルジャントイユの橋 |
散歩・日傘をさす女 | モネの庭 |
庭のカミーユ・モネと子供 | アルジャントイユの野原 |
睡蓮と日本の橋 | ポプラの木の下で |
ラ・ジャポネーズ | 草上の昼食 |
ラ・グルニエール | ライデン近くのチューリップ畑 |
ルノワール | |
舟遊びの昼食 | ルグラン嬢 |
ピアノを弾く二人の少女 | テラスの姉妹 |
ムーラン・ド・ラ・ギャレット | ブランコ |
都会のダンス | 春の花束 |
ピサロ | |
パリのテアトルフランセ広場 | ポントワーズの花咲く菜園、春 |
羊毛を紡ぐ農婦 | ヴォワザン集落の入り口 |
シスレー | |
牧草地の牛 | ポール=マルりの洪水と小舟 |
春の小さな草地 | ヴィルヌーブ・ラ・ガレンヌの橋 |
セザンヌ | |
りんごとオレンジ | 大水浴図 |
赤いチョッキの少年 | 首吊りの家 |
カイユボット | |
庭師 | パリの通り・雨 |
ヨーロッパ橋 | アルジャントイユのヨット |
ドガ | |
オフィスの肖像 | ダンスのレッスン |
エトワール | カフェにて(アブサン) |
バジール | |
バジールのアトリエ | 村の眺め |
投げ網を打つ漁師 | 家族の集い |
印象画家と呼ばれる人たち |