作品名:ピアノを弾く二人の少女 製作年:1892年 サイズ:116x90cm 技法 :油彩 キャンバス 所蔵 :パリ オルセー美術館 |
この作品は、1892年に国家買い上げになったものである。 ルノワールは1870年の《水浴の女とグリフォンテリア》がサロン(官展)に入選したあと、印象派としての実験を推し進めていた1870年代の大半は、画壇の異端児と見なされ絵が売れなくて苦労した。 1879年に《シヤルパンティエ夫人と子供たち》が同夫人の後ろ楯もあってサロンで好評を博し、以後は肖像画の注文もはいったが、1880年代には、新たな造形的実験が経済不況の時期とも重なり、引き続き苦労の連続だった。 しかしようやく1890年頃、後期の安定した様式に達し、国家に本作品が買い上げられて巨匠の地位を確立したのである。 この作品は美術総監アンリ・ルージョンの名で、当時の国立現代美術館であるリュクサンブール美術館への買い上げを前提に制作を依頼されたものである。 ルージョンは、ルノワールの友人であった詩人マラルメと評論家ロジェ・マルクスの強い推薦があって、制作の依頼を決めた。 ルノワールは、数年前に一度描いたピアノを弾く二人の少女の題材を選び、5枚のほぼ同じ大きさのキャンヴァスに、微妙に色彩とポーズが違うヴァージョンを描き上げて、その中からルージョンに選ばせた。 こうして選ばれたのが本作品である。マラルメらは、ルージョンがもっともいい作品を選んだことを歓迎した。ただしルノワール本人はのちに、このヴァージョンはやや描き込み過ぎだったと友人に語ったという。 とはいえこの作品は、こんにちの目でたとえばメトロポリタン美術館のヴァージョンと比べて何の遜色もなく、この時期のルノワールの代表作であることに疑いはない。 ほかのヴァージョンに比べてこれは、赤と緑の対比が明快である。1880年代前半には赤と青の対比が多かったが、後期のルノワールは赤・緑を多用することになる。補色関係にあり本来衝突しあうこの二色に、白を混ぜてやや淡くしつつ全体の明度を揃えることによって、心地よい響きを生んでいる。 これは1909年以降、晩年のルノワールに師事した梅原龍三郎が、直接教えを受けた事がらでもあった。 ここでルノワールは、現実生活の描写から離れずに、なおも印象派時代と違う普遍的なイメージに到達することができた。 近代という時代は純粋性・普遍性を追究する時代だったが、ルノワールは20世紀のモダン・アートとは別のやり方で、それを実現したと言っていい。そのことは、とりわけルノワール後期の様式に憧れを持ち、むしろこれを普遍的な言語として受け入れようとした私たち日本人にはよく分かるのである。 この作品はギャラリーアオキ購入できます。 |