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日本の美術史上最もダイナミックで優美な作品が多く描かれた「安土、桃山、江戸美術」を紹介いたします。この時代は戦国の覇権を確立した織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の時代を言いますが、当時は多くの大名によって築城や寺の建立が盛んに行われた時代で.その内部を飾る障壁画、屏風絵、襖絵など大画面に描かれました。作風は大胆かつ繊細で躍動感と優美さを併せ持つ大作が多く、それぞれの作品が圧倒的な迫力で迫ってくるようです。特に当時を代表する絵師、狩野永徳、長谷川等伯、尾形光琳などの作品からは現代に通じる「日本人の美意識」が長い年月を超えて私たちに語りかけてくるようです。
注)ここでは作品の販売はしておりません。
「楓図」解説 上の作品は豊臣秀吉の愛児「鶴松」の死去によって建立された祥雲寺の障壁画として描かれたものだが本来狩野派によって制作される予定でした。しかし前年の狩野永徳の死去に伴い狩野派内の混乱などのため長谷川等伯とその一門に依頼されたのでした。 中央に楓の巨木を描いた構図は多分に狩野永徳の「檜図」を意識したものですが紅葉し始めた楓とその根元に彩られた草花は狩野永徳にも描けない優美で華やかな、しかも荘厳な作品となって当時の画壇に衝撃を与えたのでした。 祥雲寺は徳川家康の代になると廃絶され、その寺領は智積院に与えられたのですが火災や盗難にあい数奇な運命をたどることになりました。ですが幸いにもいくつかの作品は災難を免れ今日に至っております。 |
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「紅白梅図」 1593年 国宝 尾形光琳 紙本金地着色 170x460cm MOA美術館 |
川を挟んで右に紅梅、左に白梅、今まさに咲き始めた早春の梅です。川には銀箔が使用された跡があり、完成当時はさぞ華やかで優美な屏風であったと推測できます。この作品は婚礼など慶事のために描かれたものではないでしょうか、左右対称の構図はいかにもそれらしい雰囲気を持っています。そして中央に大きく大胆に描かれた川とその流れを連想させる模様はどうでしょう、極めてモダンなデザイン画の様相を呈しています。それは今日にも通じる斬新な想像力と表現力の賜でしょう。伝統の物に新しいものを加えてゆくという進化ではなく突然変異的な進化を遂げたこの作品から尾形光琳の個性の一端が見えるような気がします。 |
「柳橋水車図」 1603年 長谷川等伯 紙本金地着色 151x642cm 香雪美術館 |
シンプルで無駄を排除したデザイン性の高い作品です。そのためか神秘性が際立って見えます。 屏風は6m以上の長さで長谷川派でも大作の部類に入りますが全体の画風から判断するとあまり等伯らしさが出ていないような気がします。 長い間、この作品は等伯作ではないと思われていましたが近年、本印も基準印であることが確認され等伯筆であることが認定されました。 金箔と銀泥と墨で描かれたシンプルな色彩とくねくねとうねるように描かれた柳の樹と垂れ下がる柳の葉が意識的にデザイン上のコントラストを感じる構図となっています。 |
「群鶴図屏風」 鈴木其一 紙本金地着色 各162.5x358.8cm プライスコレクション蔵 |
鈴木其一(1796〜1858)は酒井抱一の用人としてスタートしましたが間もなく頭角を現し師の代筆までするようになりました。其一の作品は年記の分からないものが多くこの作品も作成年不明です。 この作品は尾形光琳の「群鶴図屏風」を模写したものだが鏡に写したように左右が入れ替わっています。其一は光琳のデザイン性を学んでいたようですが、しかしこの作品だけ観れば鶴の羽毛を黒と灰色にくっきりと塗り分けるなど光琳よりもさらに一歩進んでシンプルなデザインとしているところはデザインの本質を見抜いているようです。 |
「風神雷神図」 尾形光琳 紙本金地着色 各166x183cm 東京国立博物館 |
「風神雷神図」といえば俵屋宗達の作品が有名ですがこの作品は光琳による模写なのです。 尾形家には本阿弥光悦との関係から俵屋宗達の作品や資料が多く残っています。光琳生誕以前に宗達は没していますが残された資料をもとに光琳は絵師として宗達から多くを学んだようです。この作品もそのひとつです。 この作品では宗達のそれより背景の雲を多く描き風神雷神が浮き出て見えるよう工夫しています。しかも力強い作品です。 |
「桜図」 1593年 国宝 長谷川久蔵 紙本金地着色 176x560cm 京都 智積院 |
長谷川等伯の息子、久蔵の作と云われています。この作品も父等伯の「楓図」と同じように祥雲寺の障壁画として描かれたもので長谷川一門の間では久蔵の作品は「精密で清雅」であるとして評価も高く将来を嘱望されていました。 作品は何とも緻密で精細ですが高貴で誇り高くもあります。久蔵はこの作品の完成後急逝するがその死因の説として久蔵の優れた才能に危機感を抱いた狩野派によって毒殺されたという噂が立ったほどです。秀吉の子「鶴松」の三回忌法要のために描かれたこの作品を観た秀吉の胸中はどのようであったでしょうか、そして大事な息子であり自身の後継者としてその才能を表し始めた久蔵の死を見つめた等伯はどのような思いであったでしょうか。 |
「燕子花図屏風」かきつばたずびょうぶ 1700年頃 国宝 尾形光琳 紙本金地着色 各150x339cm 東京 根津美術館 |
光琳独特のリズミカルなパターンのデザイン画。 シンプルなパターン画としては長谷川等伯の「萩芒図屏風」などとの共通項が多いですが、光琳の作品からは軽やかなリズムが感じられる。そのためか燕子花の写実性よりその配置に気を配っている構図です。そして、背景にはなにも描かない。光琳のデザインに対し誰にも文句を言わせない自信の表れではないでしょうか。いったいこのような感性をどのように学んだのでしょうか、当時の日本人画家のデザインセンスの良さには改めて驚かされます。 |