1898年7月、ルソーはラバルの市長に手紙を書いて「市の子供の一人からの記念品」として《眠れるジプシー女》を市に売却することを申し出た。 市長はその申し出を拒絶した。 当時、残念なことにルソーの絵は誰からも理解されず、この話も市長としては迷惑な申し出と思っていたのである。 その証拠に、この作品は1923年パリの配管工の作業現場にゴミのように置かれていた状態で発見された。 この作品はルソーの最も特異な絵であり、その不可解さのために逆にどのようにでも解釈できる。シュルレアリストたちが、絵に人物と動物、静物、風景が並置される斬新さによって、ルソーを彼らの先駆者の1人として迎え入れたようにフロイトの信奉者たちはこの絵に性的な意味あいを見いだしている。しかし、この絵の意味がわかりにくいものであったにしろ、その不気味で魅惑的な美しさは疑う余地がない。詩人のジャン・コクトーは“描かれた詩 と呼んでいた。