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1599年、スペイン南部のアンダルシア地方、セビーリャに生まれる。父はポルトガル系の下級貴族であったが生活には困窮していた。しかし、当時のセビーリャは新大陸との交易が盛んで街は活気に満ちておりイタリアルネサンス時のフィレンツエのような芸術の中心地となり、市内には画塾なども多くできていた。子供のころからその才能に気付いていた両親はベラスケスを画家に育てようと考えた。 1610年、セビーリャで有名な画家フランシスコ・バチェーコの弟子となり画家としての勉強を始めるが、師のバチューコ宅には詩人、学者、画家、神学者、哲学者など多彩な人物が集まってきていたため、ここでは画家の勉強というより知的教養が身に付いていったようだ。 ベラスケスはこの時期、台所や食事の風景、食物という身近な存在を扱う「ボデゴン(厨房画)」と言われる静物画を主体に描いていた。 1617年、修行を終えたベラスケスは画家組合に登録され、プロの画家として スタートした。師匠のバチューコはベラスケスの人柄を信頼するとともににその将来を嘱望し娘のファナと結婚させた。 1623年、バチューコは宰相が同郷であることを利用して国王の肖像画をベラスケスに描かせるよう交渉し、ついにその機会を得た。美術に造詣の深い国王はその才能を見抜き、ベラスケスは24歳の若さで宮廷画家に任命された。 国王は自身の肖像画を大いに気に入り、以後ベラスケス以外には自身の肖像画を描かせない栄誉を与えた。 ベラスケスは国王フェリペ4世の厚い信頼を得て宮廷画家としてだけではなく様々な要職を兼任し出世の階段を上ることとなるのだが画家としてのイタリア美術研究への思いは強く1642年、2度目のイタリア旅行へ出発した。 イタリアでは公務を離れ自由な時間を得て作品制作にいそしむことができ生活も快適であったことから国王からの再三の帰国要請にもかかわらず2年半も帰国しなかった。 ベラスケスは肖像画家というよりは風俗画家としての作品に秀作が多い。庶民の生活を積極的に多数描いており、描かれた人物の表情にはなにがしかの思いが表現されており精神的な深みのある作品となっている。 ベラスケスの画家としての思いは高貴な人物の肖像画を描くことよりは、庶民の生活の中に垣間見れる深い精神性のようなものに興味があったようだ。 1660年4月、スペイン王女マリア・テレサとフラン国王ルイ14世の婚儀準備のため奔走し、その激務のため同年8月6日、自室にて死去。享年61歳であった。最後の最後まで「王の画家」として国王一人のために尽くした人生であった。 その後近代になりベラスケスの作品はマネやルノワールなどに影響を与えている。 |
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ベラスケスの作品 | ||||
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