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有名西洋絵画の解説と紹介をするインターネット美術館です。ユトリロ
ギャラリーアオキ
モーリス・ユトリロ
信仰心の熱い孤独な画家
Maurice Utrillo
1883〜1955
フランス
1883年12月26日、私生児である画家シュザンヌから私生児のユトリロが生まれた。
母親のシュザンヌは恋多き女性であった。そのためユトリロは祖母のマドレーヌと二人きりの孤独な生活を送るようになった。
中学時代は住まいのあるモンマニーから汽車に乗っての通学だったが学校帰りの途中でアルコールを飲むことを覚えたと言われている。
当然成績も落ち15歳で中退すると母の再婚相手のムジスの紹介で様々な職業に就くがどれも失敗続きでうまくゆかず、母シュザンヌは18歳になった息子モーリスに絵を描くことを教えるが、おざなりな指導で決して良き教師ではなかった。
精神的に病んだユトリロは義父ムジスの指示によってサン=タンス精神病院で治療を受けることになるが、絵は描き続けた。そうした中、彼の作品が何人かの画商の目に留まり、値段は安かったが少しづつ売れるようになった。そんな時モディリアーニと知り合いになり二人はモンマルトルの居酒屋で酒を飲んでは一緒に過ごすようになった。
ユトリロは相変わらずアルコールにおぼれ警察沙汰を引き起こすなど近所の評判は決して良いものではなかった。1910年ごろになると彼の作品の評価が上がりだし、やがて売れっ子作家になっていったが、それでもアルコールを断つことが出来ず問題を起こすので周囲の人たちもほとほと困り再びサン=タンス精神病院に送られた。そのころ母親のシュザンヌはムジスと別れ21歳年下で画家を目指すアンドレ・ユッテルと結婚をする。そのユッテルによってユトリロは精神病院退院後も鉄格子のついた自宅で絵葉書を見ながら作品作りを義務付けられた。ユッテルはユトリロの稼いだ金で贅沢な暮らしをするがやがて別な女を見つけ出て行ってしまう。
ユトリロの作品の評価は高まる一方で、パリでの個展は大成功の連続であった。1928年にはレジオン・ドヌール五等勲章まで受賞することとなる。
1935年、52歳で美術愛好家の未亡人リシュー・ポーウェルと初めて結婚するが、財産目当てのリシューとの生活は決して幸せなものではなかった。
1955年死去。享年72歳
作品はギャラリーアオキ「ユトリロ」のページで購入できます。
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