|
||||
孤独な幼少期 1858年イタリア、ミラノで小さな商人の次男として生まれるが、その年にたった一人の兄を亡くし、病弱な母もジョヴァンニを出産後寝たきりとなりジョヴァンニが7歳の時に病没している。父のアゴスティーノ・セガンティーニも行商のため留守がちで7歳のジョヴァンニは異母姉の家に引き取られるが生活に馴染めず孤独な日々を送るなか父のアゴスティーノもその翌年には病没している。 家族や家庭というものを知らず不幸な環境の中で少年時代を過ごしたためか知性や教養が身につかなかったがデッサン力は天性のものであろうか周囲の人たちを驚かせるほどの才能を発揮した。 画家になる決心 16歳の時に画家になる決心をしミラノにある美術アカデミーの夜間クラスに入り画家の助手などをしながら勉強を続け絵画技術の多くをここで学んだ。アカデミーも彼を高く評価し幾つもの賞を与え、デッサン教師にまでなり、自活することが出来るようになったのである。 彼の画家としての転機は1879年、21歳の時描いた「サンタントーニオ聖堂の聖歌隊席」がミラノ市美術協会によって買い取られたことによって始まる。 彼のモダン画家としての評判はイタリア全土に広がり、彼自身もフランスの象徴主義や印象主義を積極的に学び点描画の技法なども取り入れる柔軟性も持っていた。 家庭を築く 1880年、17歳のビーチェ・ブガティと結婚し家庭を築くが裕福な生活をするようになり高額な収入があったにもかかわらず財政的には困窮し債権者に追い回される事となった。 新しい世界との出会い 1886年、そうした煩わしさから逃げるように向かった先がスイスであった。この地でアルプスという新しいモチーフと出会い、新しい表現を研究していく中で著名なアルプス画家としての地位を確立するのであった。 『アルプスの真昼』 41歳という若さで亡くなるが、彼が残した作品の多くはこの地で描かれたもので、生国イタリアよりスイスでの評価のほうが高い。 |
||||
作品の購入はギャラリーアオキ「セガンティーニ」のページで購入できます。 |