パブロ・ピカソはスペインの最南端アンダルシア地方の美術教師の11人の子供の長男としてうまれた。
子供のころから絵を描くことには天才と呼ばれ、彼が13歳の時に描いた鳩の描写力に驚き父親は筆を折ったと言われている。彼は16歳でマドリードにある王立美術アカデミーにずば抜けた成績で合格するがピカソにとっては学ぶものが何もなかった。
新しい可能性を求めた彼は1900年、親友の画家カザジェマスとともにパリに活動の場を求めた。しかし、親友のカザジェマスが失恋の果てに自殺を遂げてしまったことに大きなショックを受け【青の時代】と言われる孤独で不安定な精神上他を迎えることになる。そうした中、パリに定住することを決意しやがて彼にも恋人ができ少しずつ精神的な安定を取り戻すと明るい色彩の作品が増え「バラ色の時代」へと移行してゆく。
作品が売れて生活も安定してきた1907年、【アヴィニョンの娘たち】を完成させるが大胆で革新的なこの作品は周囲の芸術家の理解を超えていたが後の「キュビズム」の出発点となる。
その後もピカソは野心的に技法を改革し硬質な輪郭線による写実的な作品が多くなり「新古典主義の時代」となるのだが1928年ごろから既存の形態を壊したい欲望からグロテスクなまでに変形させた人体を描くようになり今日我々が知っているピカソの作品はこの時代のものが多い。
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