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有名西洋絵画の解説と紹介をするインターネット美術館です。マネ 

エドゥアール・マネ

スキャンダラスな革命画家



Edouard Manet

1832〜1883

 

フランス
 

マネは1832年、パリのブルジョワの家庭に生まれた。父は司法省の高級官僚であった。はじめ海外航路の船員となるが、1849年、17歳の時に画家になることを決意し、翌1850年に当時のアカデミスムの大家、トマ・クーチュールに弟子入りし、1856年まで学んだ。1859年、初めてサロン(官展)に出品した『アブサンを飲む男』が落選したが、審査員を務めたドラクロワや、詩人のボードレールからは高く評価された。1861年、『スペインの歌手』と『オーギュスト・マネ夫妻の肖像』をサロンに出品し、2作とも初入選する。マネの画風はスペイン絵画やヴェネツィア派の影響を受けつつも、明快な色彩、立体感や遠近感の表現を抑えた平面的な処理などは、近代絵画の到来を告げるものである。
下の作品はマネの「草上の昼食」だが当時の人々からはいかがわしい作品であると激しく非難を浴びた。しかし、マネの真意は古典的な構図と裸婦を現代的にアレンジしたもので近代絵画の新しい流れを創造したのである。この作品は後の印象派にも刺激を与えモネも同じタイトルの作品を描いている。



マネは粋なパリジャンであった。いつもファッションには気を使い、新しい風俗には敏感であった。会話は辛辣だが素直な人柄で仲間の画家や詩人たちを魅了していたという。
後の印象派画家たちの良き理解者で兄貴分的な存在でもあった。しかし、マネ自身はアカデミックなサロン的画風や批評に対しても一定の評価をしておりサロンへの出品も継続していたのである。
1981年にはレジオン・ド・ヌール勲章授与されている。
1883年死去。 享年51歳
作品の購入はギャラリーアオキ「マネ」のページで購入できます。