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有名西洋絵画の解説と紹介をするインターネット美術館です。ジョット 

ジョット・ディ・ボンドーネ

西洋絵画の父



Giotto di Bondone

1266〜1337

 

イタリア
 

ジョットは中世後期のイタリア人画家、建築家。日本でも諸外国でも単にジョット(ジオット)と呼ばれることが多い。フィレンツェ共和国(現在のイタリア・トスカーナ州近辺)の首都フィレンツェ近郊の出身といわれており、その絵画様式は後期ゴシックに分類され、イタリア・ルネサンスへの先鞭を付けた偉大な芸術家と見なされている。

ジョットと同時代の画家ジョヴァンニ・ヴィッラーニはジョットのことを「この時代における最大の巨匠である。ジョットが描く人物やそのポーズはこの上なく自然に見える。その才能と卓越した技術によってジョットはフィレンツェのお抱え画家となった」と書き残している。

生前から巨匠としての名声は一貫しており、16世紀後半の画家・伝記作家のジョルジョ・ヴァザーリはその著書で「それまでの洗練されていなかったビザンティン美術を徹底的に打ち壊し、現在見られるような現実味あふれる素晴らしい絵画をもたらした。200年以上にわたって忘れ去られていた絵画技術を現代に蘇らせた画家である」とジョットを絶賛している。
ビザンティン様式が支配的だった西洋絵画に現実的、三次元的な空間表現や人物の自然な感情表現をもたらした。その絵画描写は、人物は背後の建物や風景との比例を考慮した自然な大きさで表現されている。こうした描写方法は、当時の描写法では革新的なもので、こうした点からジョットは「西洋絵画の父」ともいわれている。

ジョットの代表作は1305年に完成したパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の装飾画である。この一連のフレスコ壁画は聖母マリアとイエス・キリストの生涯を描いたもので、初期ルネサンス絵画の中でも最高傑作のひとつといわれている。記録によればスクロヴェーニ礼拝堂の壁画を完成させたジョットは、1334年にフィレンツェからサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に新しく建てられる鐘楼のデザインを任された。その他にジョットについて伝わっている記録はほとんどなく、生年月日、生誕地、死没地、風貌、徒弟期間、作品の依頼主、アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂のフレスコ画は本当にジョットの作品なのかなど、様々なことが論争になっている。

 ジョットの作品