レヴォアルは最初リヨンの学校でデッサンを教わり、1796年にパリに出てダヴイッドのアトリエで9年間を過ごす。その後故郷に帰り、一時エクス=アン=プロヴァンスに滞在した以外は、1830年の引退までその地で絵画教師として過ごした。
リヨン派へのレヴォアルの影響は重要なものがある。「騎士道の画家」の渾名にふさわしく中世とルネサンスヘの強い愛着は細密画家のような技術の中によく示されているが、それが19世紀の最初の20年間のトルバドゥール様式の特質なのである。彼の作品は考古学的な細密さで制作されており、彼自身が中世美術の収集家であり、そのコレクションは1828年に国王によって買い上げられたほど立派なものであった。
中世のもっともドラマチックなエピソードのひとつから主題を取った本作品はトルバドゥール様式の完璧な作例である。フランス人たちの勇気を奮い立たせた後、ジャンヌ・ダルク(1412−31)はランスで国王シャルル7世を聖別させたが、コンビエーニュで捕らえられ、処刑前にルーアンで牢獄に入れられる。場面はこの監獄での英雄を表している。また、作品の手法にダヴィッドの忠実な弟子であることも見て取れる。
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