レオナルド・ダ・ヴィンチが最後まで手放さなかった3点の作品のうちの1点が、『モナ・リザ』である。
(ほかは『聖アンナと聖母子』、『洗礼者ヨハネ』ともにパリ、ルーヴル美術館)。
モデルはフィレンツェの名士フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザとも、マントヴァ公妃イザベラ・デステとも、レオナルドの母親あるいは彼の美貌の弟子サライともいわれる。
フィレンツェ近郊のヴインチ村に生まれたレオナルドは、写実主義を推進したヴュロッキオのもとでさまざまな造形技術を学んだ。
1482年頃にミラノに移り、芸術家としての名声を獲得する。ミラノがフランス軍に占領されるとイタリア各地を遍歴し、ふたたびフィレンツェを訪れたころに『モナ・リザ』に着手したという。
当時の肖像画としては地味な服装、左右で微妙にずれている背景の風景などをめぐって、作品の解釈に関してはおびただしい異説がとなえられてきた。
『モナ・リザ』は、作品全体が謎の宇宙のようなのだ。しかも実物を前にすると、そのあまりの小ささに驚くことだろう。だが、この小画面には、煙るように柔らかいスフマートと呼ばれる陰影法、ごく自然に見える体の動き、こまやかな自然描写、空気遠近法による空間の広がりなど、レオナルドの生涯をかけた自然観察と独自の絵画技法が凝縮されている。
レオナルドがこの作品に込めた意味は永遠に解明されないかもしれない。それは人が宇宙や生命の根幹を解明しつくせないことにも通じるのだろうか。分析することだけでは推し量ることのできない創造の神秘がここにある。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 略歴
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