全長が10メートル近くもあるこの作品は、ルーヴル美術館のなかでももっとも大きな絵画作品のひとつ。できあがった作品を初めて見たナポレオンは「これは絵ではない、画面のなかに入れるようだ」と言ったという。<
ダヴイッドは、パリに生まれ、1825年にべルギーのブリュッセルで亡くなった。フランス革命期を経てナポレオンの登場から失脚までフランス画壇に君臨した彼の人生は、まさにナポレオンとともにあったといえよう。子ども時代から画家をめざしたが、画家の登竜門であるローマ賞は5度目の挑戟でようやく受賞という努力家タイプである。
彼はアカデミーという王立の組織に属した新古典主義の正統派でありながら、革命派を支持するという革新派でもあった。
そのため1789年に革命が起こると、その歴史的瞬間を作品に措き、さらには多くの弟子を送り込んでいた王立アカデミーの廃止まで行なった。
ナポレオン登場後は彼に傾倒し、首席画家として戴冠式はもとより皇帝にまつわるさまざまな作品を描いた。しかし、ナポレオン失脚とともに立場が危うくなると、ベルギーへ亡命した。
作品中の戴冠式は、1804年12月にノートル・ダム大聖堂で行なわれた。ナポレオンは、市民に支持されて皇帝になったことを示すため、冠を自分で頭に載せた。
しかし絵になりにくいために、ダヴイッドは皇帝から皇妃へ戴冠する場面を採用した。画面に臨場感をもたせるために空間は実際よりも縮小されており、人物はほぼ等身大に措かれている。
参列者は実在の人物が描かれているが、ダヴイッドはおもな人物の細部をリアルに再現するため、衣装を借りたり、頭部をスケッチするなど習作を行なった。 画面中央の奥にある観覧席には実際には列席しなかったナポレオンの母の姿も見える。その上の席には、スケッチするダヴイッド自身も措かれている。
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