プラド美術館

王の美術館「プラド美術館」

メインとなるビリャヌエバ館の建物は、1785年にカルロス3世が自然科学に関する博物館を作るため、フアン・デ・ビジャヌエバに設計させたものである。しかし、博物館として使われることはなく、カルロス3世の孫のフェルナンド7世が妻マリア・イサベルの進言を受け、美術館とした。

コレクションの基礎はフェリペ2世とフェリペ4世が築き、1819年11月19日に「王立美術館」と称して開館した。1868年の革命後には「プラド美術館」と改称され、現在は文化省所管の国立美術館となっており、ディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤなどのスペイン絵画に加え、フランドルやイタリアなどの外国絵画も多く所蔵している。これは、スペイン王室のコレクションにフランドル絵画が多数加えられた16世紀から17世紀にかけ、フランドルがスペイン王室の領土であった(ネーデルラント17州、南ネーデルラントを参照)ことが背景にある(例えば、ルーベンスが仕えたのは、ハプスブルク家のネーデルラント総督であったスペイン王女イサベル)。

ビリャヌエバ館の東側には、2007年にホセ・ラファエル・モネオの設計によるヘロニモス館が増築されており、主に企画展示に使用されている。

ウイキペディア参照

展示作品

作品 ラス・メニーナス
作家 ディエゴ・ベラスケス
製作年 1659年
サイズ 318x276cm
技法 油彩 カンヴァス

ルカ・ジョルダーノはこの絵を「絵画の神学」と呼んだ。神学があらゆる学問の頂点にあるよう、この作品が絵画の最高例だという。
現代の批評家や芸術家も同じ意見であり「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」誌の1985年の投票でも「最高傑作」に選ばれた。
この作品の主人公は画面中央に描かれた幼い王女マルガリータなのだがその後ろの鏡に王と王妃が映っている、つまり画面左のキャンバスに画家が描いているのは王と王妃で二人は画面手前に向こうを向いて立っているはずである。
ということは、王が見ている風景を描いたのがこの作品ということになる。王と王妃を直接登場させず鏡を通してそこにいることを暗示させる巧みな工夫とテクニックには脱帽である。
ベラスケスはまた、王女マルガリータの可愛らしさが引き立つよう画面右にいる小人のマリ・バルボラを描くなどベラスケスの王様ファミリーに対する気の使いように感心します。

作品 十字架降下
作家 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン 1400~1464
製作年 1435年
サイズ 220x262cm
技法 油彩 板

この祭壇画は、1435年頃ロヒール・ファン・デル・ウェイデンによってベルギーの都市ルーヴェンにあるノートルダム・フオーリ・レ・ムーラ礼拝堂のために制作された。この作品は、キリストが十字架にかけられて処刑され、そこから降ろされる場面を描いている。

キリストの遺体は十字架から降ろされつつある。老人はニコデモであり、十字架の後ろにいる若い男性はその従者だろう。金の織物をきた男性はアリマタヤのヨセフである。青い服を着て失神している女性が聖母マリア、一番右に入る女性がマグダラのマリアと言われている。

作品 1808年5月3日
作家 フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年 1814年
サイズ  
技法 油彩 カンヴァス

スペイン軍を強化することを装って、1807年11月に23,000人のフランス軍がスペイン軍の抵抗を受けずにスペインに入った。翌年2月にナポレオンの意図が明らかになったときでさえ、占領軍はサラゴッサを含む孤立した地域での孤立した行動を除けばほとんど抵抗を感じなかった。

1808年5月3日は、蜂起後の早朝に設定され、2つの集団の男性を中心にしています。1つは堅固なフランス軍の銃殺隊、もう1つは銃を突きつけられた無秩序なスペイン民衆の捕虜のグループです。死刑執行人と犠牲者は狭い空間を横切って突然向かい合った。ケネス・クラークによれば、「天才[ゴヤ]のストロークによって、兵士の態度とライフルの鋼のような線の激しい繰り返しと、彼らの標的の崩れかけた不規則性とが対照的でした。2つのグループの間の地面にある正方形のランタンは、シーンに劇的な光を投げかけます。最も明るいイルミネーションは、左側に集まった犠牲者に降り注いでいます。その数には、僧侶や修道士が祈りを捧げています。キャンバスのすぐ右と中央に、他の非難された人物が次に並んで撃たれます。中心人物は、すでに処刑された死体の血まみれの死体の中でひざまずいて、彼の腕が上訴または反抗のいずれかで大きく飛んだ、明るく照らされた男である。彼の黄色と白の服は、ランタンの色を繰り返しています。彼の無地の白いシャツと日焼けした顔は、彼が単純な労働者であることを示しています。

作品 着衣のマハ
作家 フランシスコ・デ・ゴヤ
製作年 1805年頃
サイズ 97x190cm
技法 油彩 カンヴァス

《着衣のマハ》は1797年から1800年にかけて制作された《裸のマハ》の着衣バージョンで、現在プラド美術館で、両作品が並んで常設展示されている。
本作は当初スペインの首相マヌエル・デ・ゴドイが所有していたもので、もともとは自宅の玄関前に《裸のマハ》を隠すように前面に吊り下げられており、滑車式の吊り下げ機械を使っていつでも《裸のマハ》が公開できるようになっていた。

「マハ」とは特定の女性の名前ではなく、スペイン、特にアンダルシア地方の民族衣装を着た女性のことを意味する。18世紀には、上流階級の女性がこのような民族衣装を着ることを好んだ。《着衣のマハ》で着衣している衣装がマハの民族衣装である。

その他の展示作品