シカゴ美術館

充実した近・現代美術「シカゴ美術館」

19世紀に交通の要衝として発展したシカゴ。シカゴ美術館の前身は、1866年に創立されたシカゴ・デザイン学校である。1879年にシカゴ美術学校として独立すると、その3年後に現在の名前に改称。I893年には付属美術館や演劇学校などを併せ持つ総合的な美術研究所へと変貌する。この頃から美術館への寄贈が始まり、ルネサンス、バロック期の絵やミイラの木棺なども集められた。
 シカゴ笑術館のコレクションは寄贈によって充実してゆくが、19世紀末に精力的な収集活動を行ったポッター・パーマー夫人の果たした役割は大きい。夫人は当時まだ評価が定まっていなかった印象派の作品を、不動産業によって得た莫大な財産を元手に買い集めた。
彼女の死後1922年に寄贈されたコレクションは、美術館の白眉として来館者を魅了し続けている。

展示室1

展示室2

展示作品

作品 夜更かしをする人々
作家 エドワード・ホッパー
製作年 1912年
サイズ 84.1x152.4cm
技法 油彩 カンヴァス

場面は、マンハッタンのホッパーの自宅の近隣のグリニッジ・ヴィレッジの小食堂が着想のモデルとなったとされている。 ホッパー自身は、絵は「2つの通りが交わるグリニッジ・アヴェニューのレストランに示唆された」と言った。 そのうえ、彼は「わたしは場面を大幅に単純化し、レストランをより大きくした」とも言っている。

資本主義が急速に発艇した20世紀前半のアメリカ。大量生産された商品が溢れ、人々は都市に集中し、労働力も商品となった。
1930年代には、こうしたアメリカ社会を主題として[アメリカン・シーン|の絵画が台頭するが、エドワード・ホッパーはその代表的な画家の一人である。普及し始めた蛍光灯に照らし出された深夜のダイナー(簡易食堂)。広い店内には、それに比して、4人の人間が極端に小さく配されている。文明が人間を飲み込もうとしているかのような光景を描いた本作は、゛巨大都市の孤独″を写実的に切り取っている。物質的な豊かさという恩恵を受ける一方で、人間関係は希薄になり、人々の疎外感は大きくなっていく。ホッパーは、急速に拡大した都市で生きる人々の空虚を、描き出したのである。

作品 グランドジャット島の日曜日の午後
作家 ジョルジュ・スーラ
製作年 1884~1886年
サイズ 207.5x308.1cm
技法 油彩 カンヴァス

最後となる第8回印象派展(1886年)に、観客を驚かせる異色の一枚が展示された。パリ北西、セーヌ川の中洲にあるグランド・シャット島で余暇を過ごす人々。その画面は無数の微細な色の点で覆われていた。
休日の昼下がりに憩う人々は、永久に時が止まったかのような不思議な静けさに包まれている。
この時代、近代化による週休制の導入で、公園や森林にはピクニックやスポーツを楽しむ市民が溢れた。こうした風俗を敏感に捉えた印象派は、光に満ちた生の喜びを画面に写した。しかし、26歳の画家スーラは、早描きによって戸外で仕上げていく従来の印象派とは違う道を模索した。科学的な色彩・光学理論に基づき、カンヴァス上の絵の具の効果を最大限に発揮する点描画法を考案したのだ。約2年をかけたこの大作によってスーラは、新印象派と名づけられたのである。

作品 テラスの姉妹
作家 ピエール・オーギュスト・ルノワール
製作年 1881年
サイズ 100.5x81cm
技法 油彩 カンヴァス

 おそらくこの作品は、第1回のアルジェリア旅行から帰ってきた1881年の前半に、パリ郊外のレストラン、フルネーズで描かれたと思われる。
 彼はここでこの頃、前年に始めた大作《舟遊びの昼食》を仕上げようとしていた。
 一方で風景画にも意欲を燃やしていたと見え、この年の春に彼は手紙で、「いま女や子どもたちのいる花咲く木々に取り組んでいる」と言っている。
 女性や子どもを題材に、生命力の溢れる作品を生み出したルノワールだが、それがそのまま風景画において表現されたのがこの時期の何枚かである。
 彼はもう1年もしないうちに、印象派の自由気ままな筆触に別れを告げるが、その最後の時期に、微風に乗った草花の香り、そして季節の移ろいをみごとにとらえた印象派らしい風景画を生んだのである。
 この絵においてルノワールらしさも、はっきりと現れている。セーヌ河の広大な空間をあえてわき役にし、二人の姉妹の帽子の花飾りや手前の籠にある毛糸玉の鮮やかな彩りを描き作品に華やかさを強調している。
 画面左の女性はコメディー・フランセーズ劇場の女優の卵、ジャンヌ・ダルロー。

作品 パリの通り、雨
作家 ギュスターヴ・カイユボット
製作年 1877年
サイズ 212.2x276.2cm
技法 油彩 カンヴァス

第3回印象派展出品時に、ほかの印象派の画家たちと違い仕上げが丁寧だったこともあり、サロン(宮展)系の批評家から好評を得た。
カイユポットが住んでいたリスボン通りやサン・ラザール駅からほど近い場所にあるモスクワ通りとトリノ通りが、広い八叉路で出会う部分を描いたもの。《ヨーロッパ橋》同様、広角レンズを用いて撮影された写真をもとに、背景・人物などに分けて数多くのデッサンが行なわれている。
さながら映画のセットのようにすべてが画家によってコントロールされた世界は、中央の街灯を境に左と石、遠景と近景にきちんと分けられている。
雨に濡れた歩道が表現されているにもかかわらず、雨そのものはあえて描かれていない。
彼は雨の降る大気の様子ではなく、黒い傘の小さな空間に閉じ込められたまま街を行き交う人々の姿に鑑賞者の視点を促すことで、人間の自立性や孤立を訴えているようだ。

その他の展示作品