オルセー美術館

印象派美術の宝庫「オルセー美術館」

オルセー美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルであった。設計者はヴィクトール・ラルー(1850年 - 1937年)である。もともとオルセー駅はオルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルであり、かまぼこ状の大屋根(トレイン・シェッド)の下の地下に10線以上のホームを備えていた。狭くて不便だったことから、1939年に近距離列車専用駅となり、駅施設を大幅に縮小した。その後、この建物はさまざまな用途に用いられ、一時は取り壊しの話もあったが、1970年代からフランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、イタリアの女性建築家ガエ・アウレンティの改修により19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わることとなった。こうして1986年、オルセー美術館が開館した。美術館の中央ホールは、地下ホームのトレイン・シェッドによる吹き抜け構造をそのまま活用している。建物内部には鉄道駅であった面影が随所に残る。現在ではパリの観光名所としてすっかり定着した感がある。なお、旧印象派美術館(ジュ・ド・ポーム)の収蔵品はすべてオルセーに引き継がれている。

展示室

展示作品

作品 アルジャントイユの橋
作家 クロード・モネ
製作年 1874年
サイズ 60.5x80cm
技法 油彩 カンヴァス

英国とオランダの披から戻ってきたモネは、アルジャントウイユに住むことに決め、彼の友人たちも次々にこの地に居を書えるようになった。ルノワール、シスレー、そして1874年の夏にはマネもやってきて、彼らにとって最も実り多い時代が始まった。モネは画架をセーヌ川の川沿いの道や有名なアトリエ舟の上に固定した。彼が「アルジャントウイユの橋」を描いたこの年に公に印象主義が生まれることになる。

作品 落穂ひろい
作家 ジャン・フランソワ・ミレー
製作年 1857年
サイズ 83.5x111cm
技法 油彩 カンヴァス

1856年から57年にかけて、ミレーは貧窮のどん底にあり、一時は自殺も考えたという。そういう時期に描かれたのが、この作品である。落穂拾いとは、刈り取りの終わった畑に落ちている糧を一粒一粒拾っていく作業のことで、最も貧しい農民が行うつらい労働であり、それをとり上げたミレーの作品は、政治的プロパガンダの意味合いをもつのではないかと評されたのも無理はない。また、この人物は畑に立っている案山子(かかし)だとまで酷評された。ミレーは、自分は評論家ではないし、ただ自分が見た情景を率直に描いただけであると答えている。しかし、光と影によってみごとに綾取りされて彫刻のように浮かび上がる人物像と、≪仕事に出かける人≫や≪種蒔く人≫でも見られなかったコントラスト的効果をもつ背景の処理などに、ミレーの卓抜した技量が見てとれる。近景と遠景といった単純な対比だけを見ても、そのリアリティーのすばらしさには驚嘆させられる。まさに名画中の名画といえる。 心ある地主は貧しい農民のためにわざわざ多くの落ち穂を残したという。ミレーはこのことについてただ「見たままを描いた」としか発言していない。そこにも謙虚で寡黙なミレーの優しさがにじみ出ている。

作品 サン・ラザール駅
作家 クロード・モネ
製作年 1877年
サイズ 75.5x104cm
技法 油彩 カンヴァス

「今年、クロード・モネ氏はすばらしい駅の構内を描いた。そこでは、こちらに向かってくる列車の轟きが耳に聞こえる。そこでは、広い車庫に渦を巻いて溢れ出る煙が目に見える。今日の絵画は、かくも美しき広がりのあるこの現代的環境の中にあるのだ。芸家たちは、駅の中に詩情を見つけ出さなければならない。彼らの父親たちが森や河でそれを見つけたように」とエミール・ゾラは、1877年4月19日に出した「マルセイユの腕木信号機」の中で書いている.
この年にクロード・モネは「サン・ラザール駅」を扱った7点の作品を第3回印象派展に出品した。1844年に「雨、蒸気、速力」でターナーが列車を主題に取り上げ、同じく「三等車両」(1864年)でドーミエが列車を主題に選んだ後、マネ、ピサロ、シスレー、カイユボットといった印象派世代の他の画家たちもこのテーマに取り組むようになった。

作品 クリスタルガラスの花瓶に入れた花
作家 エドワール・マネ
製作年 1882年
サイズ 56x35.5cm
技法 油彩 カンヴァス

晩年、進行する左足の病のために、マネはパリの街を歩くことができなくなった。そんな彼を女性たちと同じくらいに慰めたのが、友人からの見舞いの花々である。
美しい器にざっくりと生けたその花々を油彩の小品に措きながら、画家は最後の日々を送った。指先にあまり力を込められず、筆を払うようにして描かれたと思われる花々は、病身の画家にとっては皮肉なことに、いっそう生気にあふれている。ガラスの器に乱反射する光は、絵画の新時代を切り開いたこの画家が放つ、最後の光空である

作品 りんごとオレンジ
作家 ポール・セザンヌ
製作年 1899年
サイズ 74x93cm
技法 油彩 カンヴァス

セザンヌはここで,より以前の作品におけるよりも,いっそう完全な諸要素の連続性を追求している。果物入れは美しい白いクロスの上に立ち,そして模様のある水差しは,リンゴとオレンジののったクロスとその後ろの模様地の布との融合とみられる。この効果は,彼の森や岩のある風景に似て,濃密で,混雑してさえいる。そして思いがけない形と,色彩の和音において,ほとんど飽食といえるまでに,驚くべき豊かさをもっている。これは,まったく自然な静物一われわれが家庭内で出会うかもしれないようなもの一などというものではなくして,物体の空想的な積み重ねなのだ。しかしこのなかに明確な調整的感覚が認められる。この作品の複雑さは,訓練の行き届いた熟達の誇りと,感覚の喜びのものである。
セザンヌの静物の大部分よりも以上に,それはオーケストラ的効果の作品としてわれわれに印象を与える-カンヴァス全体に広がる諸要素の明確で分節されたグループの豊かさゆえに……。白いクロスは,その曲線,対照的な方向性の多様性,その起伏の激しさその輝く白い面のまばゆいばかりに繊細に色調を整えた点において,壮麗である。この白の多様性をさまざまな色の布地の地味な和音(左の装飾ではより暖色が強く,そして角ばっており,右では寒色がかった曲線的な装飾)を背景にして,果物の豊かな純粋な色が映える。それらは,さまざまなリズムで簡潔にまとめられ,そして多くの傾斜した形における神秘な安定装置である水平な軸の上に一つの静物画を形成するように配列される。喜びに満ちた暗剛勺な空想は,隣の果物に似た,水差しの赤や黄色の花の装飾模様である。それは果物と装飾模様の布地を橋渡しており,そのパターンは,襲によって切られ,そう強くない対照的な色調で,豊かに顛動するのだ。

作品 蛇使いの女
作家 アンリ・ルソー
製作年 1907年
サイズ 167x189cm
技法 油彩 カンヴァス

今日では、ルソーはあらゆる素朴画家たちの中でも最も優れた画家であると考えられている。
斬新なモティーフと大胆な構図、そして独特な色使い。
こうした発想も日曜画家であったことが起因していることは誰の目にも明らかであるが、ルソー自身は正規の絵画教育を受けていないことにいささか劣等感を持っていたようだ。
当時、批評家たちの間でルソーの絵は笑いものの種であった。
一方で前衛画家やピカソからは高い評価を受け世評も両極端に分かれた。
しかし、この絵には異質な魅力がある。
 この絵は、アンリ・ルソーの作品を賞賛していた画家のロベール・ドローネーの母親から依輪されたものである。
ドローネ一夫人はインドへ行ったことがあったので、エキゾティックな主題は彼女にふさわしいものであった。フランス絵画において、蛇使いの絵は数多くの先例があるが、ルソーの暗く不気味な人物像はまったく目新しいものである。
この絵に不思議な魅力を感じないものはいないであろう。

作品 オーヴェールの教会
作家 フィンセント・ファン・ゴッホ
製作年 1890年
サイズ 94x74cm
技法 油彩 カンヴァス

最期の地オヴェール・シェル・オワーズにある教会を措いたもの。建物は下から見上げる角度で措かれているのに、パース(透視図法)が効いておらず、あたかも生き物のように揺らいでいる。しかも前景は昼の情景なのに、空と窓は《星月夜≫のような深い青に閉ざされ、画家自身の不安な心境や聖なるものへの思いを反映させているかのようだ。この教会は今なおオヴェールに建っているが、本作の大きな存在感は、実際の教会からはとても想像できない。

その他の展示作品