Gustave Moreau

ギュスターヴ・モロー 1826~1898
 
  

モローはパリの裕福で教養の高い家庭で生まれるが幼い頃から体が弱く、読書やデッサンの好きな子供であった。
とりわけ、父の蔵書であるギリシャ神話やローマ神話など古典文学や版画集に夢中になっていた。
20歳で美術学校に入学するがドラクロワに心酔し26歳で初めてサロンに出展、翌年も出展し国家買い上げとなるが、多分に父親の助力によるところがあったといわれている。
1857年、自身の限界を感じたモローはイタリアへ旅立ち、ルネサンス期の作品模写に明け暮れる毎日をおくるが、1859年には帰国する。しかし、長らく模索の日々が続き、約10年の沈黙のあと1864年、『オイディプスとスフィンクス』をサロンに出展すると大きな話題となり、彼自身の実質的デビューとなる。この時点で独自の画風を築きあげたといって良いだろう。

しかし時代はクールベ、マネなどの出現によりロマン主義からまだ見えぬ次の時代へと移行しつつあった。モローはサロンに背を向けアトリエにこもり作品作りに没頭するが1876年、モロー50歳のとき『ヘロデ王の前で踊るサロメ』を発表し再び大成功を収める。
もともと裕福な家庭環境にあったモローは生活苦とは無縁のため自身の作品を手放すことが少なかった。そのため一般の民衆は彼の作品を間近に観ることがなく疎遠であった。そのことを普段から気にしていたモローは1895年、自宅を改修し美術館にし邸宅ごと国家に寄贈する旨の遺言をしたためた。1898年胃がんにより死去享年72歳。そして1903年弟子のルオーを館長として美術館が開館した。
もし、美術館が出来なければ印象派の陰に隠れ、忘れられた存在になっていたかもしれない。

 

  
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