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有名西洋絵画の解説と紹介をするインターネット美術館です。




光と影のドラマ


 夜警」はレンブラントの現存作品のなかで最大のものであり、疑いなく彼の最も有名な作品である。
最も数多く論じられ、これに関する多数の書物と無数の論文がある。博学な(ときには空想的な)解釈にさらされてもきており、たとえばこの絵が、レンブラントと同時代のオランダの大作家ヨースト・フアン・テン・フォンテソレによる史劇に鼓舞された、アムステルダムの勝利の寓意だとする説も出された。

 絶大な描写がこうした大げさな解釈を呼んだと思われるが、それらは芸術に対するレンブラントのアプローチ法とは相入れず、絵はオランダ伝統の大集団肖像画に属するとしたほうが当を得ている。しかしながら、この作品はその伝統のなかでは革命的といってよく、これまでの画家のだれ1人として、ありふれた出来事からこれほどのドラマを生み出しえなかった。

 レンブラントの弟子サミュユル・フアン・ホーフストラーテンは「これは着想においてじつに画家らしく、動きにすばらしく勢いがあり、あまりに力強いので、並んで掛けられた絵が「トランプのカードみたいに」見えると書いた。この作品はまた、市警備隊肖像画への告別の歌ともなった。その後まもなく、とりわけオランダが1648年にスペインから正式に独立してからは、彼らが活躍する場がなくなり、このジャンルが時代遅れになったからである。

 この作品のタイトル『夜警』は18世紀以降に付けられたもので、画面を保護するために塗られていたニスが黒ずみ夜の光景に見えたことから『夜警』となったといわれている。
現在でも正確なタイトルは定まっていない。『バニング・コック隊長率いる火縄銃組合の人々』という場合もある。

人物のサイズから作品の大きさを想像してください。

レンブラント 夜警

 夜警
前列左がコック隊長、右が副官ライテンブルフ。
作品全体では主にこの二人に光が当たっている。
そのため作品に奥行きと臨場感が感じられ、舞台のドラマを見ているようだ。
隊長の左手が画面前方へ伸びて描かれる「短縮法」が使われており、これもまた遠近感を増幅している。その隊長の手の影が副官のきらびやかな服に映りこんでいて光と影のドラマをいっそう重厚なものへと仕上げている。

隊長のバニング・コックは薬剤師の一人息子として生まれたが、フランスで法律の勉強をした温厚で人望のある人物であった。この作品が描かれた後の1650年にはアムステルダム市長になっている。
 
 この少女が描かれていることについてはいつの時代でも議論になる。
この人物は誰なのか、なぜこの少女に光を当てたのか、腰につるしている鶏の意味は何なのか等など。
鶏の意味については爪が、火縄銃組合の象徴だからだという説が有力なようだ。
この作品のタイトルについては「バニング・コック隊長率いる火縄銃組合の人々」という言い方もあるので鶏の意味も合点がいく。
また、このモデルは妻のサスキアではないかといわれている。
 
 コック隊長はレンブラントの絵のできばえに感動し、水彩の模写を依頼した。
ほぼ原画サイズだがやや大きい。
なぜなら、原画のほうが後に左側を60cmほどカットされてしまったからだ。
原画を市庁舎へ移す祭に寸法が合わなかったということらしい。
 作品の評価

当時、多くの画家たちによって「集団肖像画」が描かれていた。数人から20人ぐらいまで様々な立場の人たちが画家に集団肖像画を依頼したのである。集団で描いてもらうため一人当たりの画料は安く済むというのが当時の集団肖像画が流行った最大の理由である。
一人一人が同じ料金を払うので画家は夫々を公平に描かなければならない、そのため整列した状態で描くことが多く、作品としての評価は低く面白みの無いものであった。

そんな時に描かれた『夜警』は人々を驚かせるには十分過ぎる作品であった。まるで舞台の上で繰り広げられる歌劇の一場面のようなドラマティックな作品として登場したのである。

一般市民や美術評論家の評価は高く、ここに「集団肖像画」という新しい芸術ジャンルが生まれたといえる。

この作品を制作するにあたり18名の隊員が一人当たり100ギルダーを支払ったとという記録があるが、作品には子供や女子も含め20名以上の人々が描かれている。当時の100ギルダーは集団肖像画の相場としてはかなり高額であったようだが、レンブラント自身は既に有名画家として名をはせていたことがそのような高額な画料になったと思われる。そして、更にレンブラントは画家として高みに昇ることとなる。

しかし、一部の依頼人からは不満の声が上がった。公平に描かれていないという理由からだ。
この作品の画料は同一なのに描かれ方には差があり小さく顔だけ描かれている人などからは『不公平だ』との声もあったであろう。
レンブラントは本来の「集団肖像画」のルールよりも作品のドラマ性を重要視し芸術性を高めようとしたからの結果である。

いづれにしても、この作品『夜警』がレンブラントの名を後世まで語り継がせる原動力となり「名作」と呼ばれる傑作であることは間違いない。
  下の作品は当時オランダの有名画家フランス・ハルスによって「夜警」の5年前に描かれた作品だ。この作品が描かれたときには斬新な作品として高い評価を受けたものだが、全体に横一列に並びモデルの多くが正面を見ている。ちょうど学生の頃の卒業写真のような感じに見える。

レンブラントはこうした作品を何点かは事前に目にしていたであろうと思われる。そしてそれらの作品を超えたいと思っていたに違いない。
この時、すでに有名画家として名を馳せていたレンブラントにすれば周囲をあっと言わせたい強い願望があったであろう思われる。二つの作品を比べてみれば、なるほど「夜警」のほうが真に迫ったドラマティックな作品で当時の人々を魅了したであろうことはうなづける。
 
 
 
   レンブラントが絶頂期にあった時に購入し、約20年住んだ家がアムステルダムの中心から東南、徒歩15分くらいの所にあります。
「夜警」もここで描かれました。
ヨーロッパでは400年も前の家が普通に残っていることが「スゴイ」ですね。


 
 レンブラントの「夜警」の他、フェルメール、ハルス、ロイスダールの作品が多数展示されている。

「夜警」の購入ページ



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