Johon Constable

コンスタブル
(カンスタブル) 1776~1837

 

  ジョン・カンスタブルは1776年6月11日、サフォークのイースト・バーグホールトに6人兄弟の第4子として生まれた。
父のゴールディングざま富裕な穀物商で、イースト・バーグホールトと近くのデダムに風車と水車による製粉場を所有していた。村の地所とともに自分の小型船テレグラフ号をもっていた。ストゥア河口のミストリーに係留されたその船は、穀物をロンドンに運んだ。カンスタブルは豊かで幸福な家庭でなに不自由なく育った。
 自身がそう呼んでいるように、彼は屈託のない子供時代をストゥア川i荒城や周辺で過ごした。ラヴェナムの寄宿学校に短期間いたのち、デダムの通学学校に移った。そこの教師の手ほどきで、カンスタブルは素描に興味をおばえるようになった。この関心をより実質的に促したのが、土地の配管工でガラス屋のジョン・ダンソーンであり、少年をスケッチ旅行に連れ出した。
コンスタブルが本格的に画家の修行を始めたのは比較的遅く23歳になってからで、国立美術学校へ入学した。26歳のころから戸外での油彩スケッチを始めるようになり風景画の魅力に取り付かれるようになる。
一流画家の証ロイヤル・アカデミーの会員になれたのも53歳になってからで、国内での評価より海外での評価のほうが高く代表作「干し草車」が絶賛されたのもフランスのサロンにおいてである。それでもコンスタブルは祖国を離れず故郷の風景を描き続けた。
 
 

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