ホルバイン(ドイツ 1497〜1543) 「大使たち」 1533年 テンペラ 板 207x209.5cm ロンドン ナショナルギャラリー

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ホルバイン 大使たち


 この肖像画は、時代のポートレートでもある。措かれているのはフランスからイギリスに派遣された大使たち。本図が措かれた1533年、イングランド王ヘンリー8世はアン・プーリンと再婚し、アンの戴冠式を挙行した。それに反対した教皇庁とイギリスとの関係は険悪になる。大使たちの使命は、フランス王がこの結婚を容認することを伝え、宗教改革を穏便にするようにイギリスの教会を説得することだった。しかし翌34年、ヘンリー8世はみずからイギリス国教会の首長となり、カトリック教会から分離した。

 ホルバインは、はじめスイスのバーゼルで活動していた。デューラーが追求した科学的な遠近法を完全に習得した鬼才だったが、「聖像破壊運動(イコノクラスム)が激しくなったバーゼルでは教会からの美術品注文がなくなり、1526年にイギリスに渡る。バーゼルでの知人で人文学者のエラスムスの紹介で、『ユートピア』の著者としても高名なイギリスの人文主義者トマス・モアのもとに身を寄せたホルバインは、肖像画家として成功する。モアはヘンリー8世の離婚問題に反対したため処刑されたが、国王の側近クロムウェルはホルバインを宮廷画家に取り立てた。やがてホルバインはペストで命を落とした。

 この肖像画に緻密に組み込まれた天文学・数学・音楽の道具類は、モデル2人の学識を示すとともにさまざまな象徴を秘めている。弦が切れたリュート、解体されたフルート、壊れた地球儀は宗教界の不和と現世のむなしさを暗示し、画面左上の緑のカーテンの陰にはキリストの傑刑像が隠されている。そして何より異様なのは、床に浮かぶ正体不明の物体だ。これを斜め下方から見ると、ドクロであることがわかる。「メメントモリ(死を忘れるな)」という教訓を込めて画中にドクロを描くことはよくあるが、このように変形させてひそませたのはホルバインならではといえる離れ業だ。

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