ミケランジェロ (イタリア 1475〜1568) 「最後の審判」部分画 1535〜1541 フレスコ 壁画 13.7x12.2m ヴァチカン宮殿システィーナ礼拝堂

西洋画美術館>>ルネサンス>>最後の審判


「お前が余に会いにくるかわりに、余がお前に会いにくるのを待っていたのだな?」。イタリア北部のボローニヤでミケランジェロに再会した教皇ユリウス2世の言葉である。墓廟建設を依頼しておきながら制作の中断を命じた教皇に立腹し、ミケランジェロは再度招聴されてもローマに赴こうとしなかったのである。芸術家としての自負と創造的信念を貫いた近代人ミケランジェロ。世俗権力も宗教的権威も、彼の不屈の意志を曲げることはできなかった。

 イタリア中部アレッツオ近郊のカプレーゼに生まれ、88歳で天寿をまっとうしたミケランジェロが仕えた教皇は、ユリウス2世をはじめとして8代に及ぶ。フィレンツェのサン・ロレンツオ聖堂のメディナ家墓廟(152054年)や『ロンダニーニのピエタ』などの彫刻作品、また絵画ではシステイーナ礼拝堂の「創世記」を主題とする天井画やこの祭壇壁画『最後の審判』などを制作し、建築設計や都市計画にも携わる。ルネサンス人のなかでも超人的な創造力の持ち主であった。

 システイーナ礼拝堂の天井画と祭壇壁画は、彼の絵画作品のなかでも圧倒的な迫力をもつ超大作である。『最後の審判』には、キリストを中心に向かって左には天国に昇る人々、右には地獄に堕ちる人々が措かれている。左の上昇から右の下降へと円環を措くダイナミックな構図、約400人にも及ぶ人物像、生命力に満ちた肉体表現。画家ミケランジェロの人生の総決算であるとともに、マニエリスムからバロックに至る次世代の表現様式を予告するものであった。しかし、あまりになまなましい肉体表現が宗教界に衝撃を与え、彼の死の直前、イタリア北東部トレントで開かれた宗教会議(公会議)は「卑猥な部分は覆うべきだ」という決定を下した。約40か所に布が加筆されたが、1990年代前半の修復作業により、トレント公会議の決定以後に加筆された部分は取り除かれている。

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