モイズ・キスリング (ポーランド1891〜1953) 「モンパルナスのキキ」 1925年 油彩 カンヴァス 92x65cm  ジュネーヴ プティ・パレ美術館

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キスリング モンパルナスのキキこの人物は、アリス・プラン通称キキという女性でモンパルナス界隈でモデルをしていた。
ボーイッシュで明るい性格のためか画家仲間では人気者であり、当時モンパルナス界隈を住家としていた貧乏画家のモデルを主にしていた。
キスリングもこの女性をモデルに作品を描いたところたちまちパリの街で大評判となった。
もちろん作品の素晴らしさは言うまでもないのだがキスリング自身もキキという愛称で呼ばれていたことも重なり、周囲の人たちは彼女のことを「モンパルナスのキキ」と呼ぶようになった。

だが、キキを更に有名にした男がいる。
藤田嗣治(フジタ)だった。
彼は自伝の中でこう書いている「彼女は華奢で細い指を赤い唇にあて、誇らしげにお尻を振りながら、全くこっそりとはにかんで入ってきた。コートを脱ぐと彼女は素っ裸だった」
フジタは『裸で横たわったキキ』と題する大作を描いた。サロンに出品するとあらゆる新聞、雑誌が取り上げ八千フランで収集家が買っていった。
それまでフジタの絵は7フランでしか売れなっかた。
「厚い札束を手にした時、私は不安になった。私にはどうしても正当に儲けたようには思えなかった」盗んだような気がした。それほどの大金だったのである。
フジタが何枚かの紙幣をキキに渡すと彼女は仰天しポカーンと口をあけていたそうだ。
そして一時間後キキは、花で覆われた帽子をかぶり美しい姿で現れた。
その後キキは「モンパルナス界隈の女たちを嫉妬の渦に巻き込んだ」といわれた。
 ピカソもまた、キキをモデルとして使った。
その後のキキの人生も平坦ではなく、波乱万丈の生涯であった。
1953年、脳内出血でなくなった時にはモンパルナスの全てのカフェが花束を贈ったといわれといわれている。享年52歳だった。
だが、ティエスの墓地まで棺とともに歩いた画家はフジタとドマンゲだけだった。


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