若々しい聖母マリアとマリアの膝もとの幼児キリスト、ひざまずく洗礼者ヨハネが安定感のある三角形を形づくり、水平方向に広がる田園風景との対比が画面全体を引き締めている。この愛くるしい幼児キリストと洗礼者ヨハネ、慈愛にあふれた聖母マリアを描いたときラファエロはまだ23歳の若さだった。
ラファエロは、画家を父にイタリア中部のウルビーノに生まれた。幼いころからウルビーノ宮廷の文化的な空気を吸って育ち、若くして名声を勝ちえた天才画家である。甘美な聖母像で一世を風靡したペルジーノ(1450頃~1523)に師事したあとにフィレンツェで活躍し、ヴァテイカン宮殿の教皇ユリウス2世の居室の装飾壁画を依頼されて、25歳のときにローマに移る。 聖母子像だけでなく、人物の体温や個性まで感じさせるような肖像画、壁画などの大構図作品にも才能を発揮した。なかでも、ヴァテイカン宮殿「署名の間」の古代ギリシャの哲学者や数学者たちが集う壁画『アテネの学堂』(1509~10年)は、彼の力量を実感させてくれる傑作だ。中央に立つプラトンはレオナルド・ダ・ヴインチを、コンパスを持つユークリッドは建築家ドナート・ブラマンテ(1444~1514)を、また頬杖をついて沈思するヘラクレイトスはミケランジェロをモデルにしたと伝えられ、同時代の先輩芸術家に寄せるラファエロの深い尊敬の念がうかがえる。 ブラマンテを継いでサン・ビュトロ大聖堂の造営主任となるが、1520年、惜しまれつつもう37歳の若さで亡くなった。ラファエロの作品はその後のヨーロッパ絵画の規範となり、19世紀に至るまで絵画芸術の手本として称賛され、愛されつづけていくことになる。
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