クロード・モネ
Claude Monet 1840~1926
私の名前はクロード・モネ
世間では「印象派の巨匠」などと言われているようだがちょっと気恥ずかしい気がしている。
なぜなら、私は絵を描くことと庭木をいじることをのぞいたら全く無能な人間だからだ。
確かに絵を描くことは好きだ。少年時代から好きだった。そして、どちらかと言えば人物より風景を描くことのほうが好きだ。先輩画家ブーダンの勧めもあって屋外で制作することに楽しみを見出し、絵の具とキャンヴァスを持ってあちこちの風景を描いて歩いた。
時には、強風でキャンヴァスが飛ばされたり、突然の雨で絵の具がにじんだりと色々なことがあったが、それでも私にとっては楽しいひと時だった。
だが、屋外で写生をしていると困ったことに、時とともに風景が変わってしまうのだ。「素晴らしい風景だ」と思って描きはじめても数時間後にはまったく別の顔になってしまう。
風景は刻々とその表情を変える。そして季節の移ろいの中でも全く別の表情をみせる。
それでは「素晴らしい風景だ」と思った、その瞬間の印象を描くしかないではないか。見たままを忠実に描くというよりはその瞬間の風景から何を感じたかの方が重要なのだと思った。
降り注ぐ光と影、季節の風と香り、五感に感じる全てを「瞬間の印象」としてキャンヴァスに描きこむ、それが重要なのだ。
そんな思いで描いた作品が『印象・日の出』だ。
下の作品は、1874年の第1回印象派展に出品され、「印象派」という呼称のきっかけとなったとされる作品だ。
セーヌ川の河口にある港町、ル・アーヴルの港に昇ったばかりの太陽が、需(もや)を通して1日の始まりの日射しを投げかける。すべてのものの輪郭はぼやけ、空と海の境も定かではない。かろうじて判別できるのは、シルエットで浮かび上がる船だけだ。
私は具体的な事物の描写ではなく、大胆なタッチで光をとらえ、絵画に対する当時の人々の常識を破ってみたくなった。〈仕上げられていない描きかけの絵〉く印象などという馬鹿げた主題〉などとさんざんな酷評を浴びたが、私たちは酷評を逆手にとって、1877年の第3回展から公に「印象派」を名のり、世間へのアピールを図っていくことにした。
でも、批評家の論評は散々だった。「この絵は確かに印象なのだろうが小学生の落書きのようだ」と・・・・・
その結果、自ら「印象派」と言うようになったのだが悪い気はしない。
そんなわけで、その瞬間の印象を描くことが「印象派」の神髄なのだから極めて主観的なものなのだ。人々は画家を色分けしてみたがるが画家自身が「これは印象主義に基づいて描いたものだ」というならそれは印象派絵画なのかもしれない。
それでは・・・。
あそうそう、良かったら私の作品を買ってもらえたらありがたい。