セザンヌ

ルノワール

Paul Cezanne 1839~1906

私の名前はポール・セザンヌ。

私は南フランスのエクスという処で生まれ育った。
画家になることに大反対していた父を説得しパリにでたが、何もかもがうまくゆかない。もともと対人関係が苦手ではあったが、南部訛りがひどいと言われマネなどのパリジャンにはずいぶん馬鹿にされたものだ。
確かに私の作品は少々暗く、陰気であったこともあるのだが。
そんな私を元気づけてくれたのがピサロだった。
モネやルノワールも私の作品を評価してくれたが失意のどん底にいた私には立ち直るきっかけとはならなかった。

ピサロの根気強い説得に一緒にイーゼルを並べて描くようになってから自身の画風が変わってきた。野外制作によって激情的な表現から穏やかで明るく調和の取れた作品へと。

そして、ピサロに誘われ「第一回印象派展」に参加した。
私が出展した『オヴェール・シュル・オワースの首吊りの家』(下の作品)の評価は散々であったが、その後もピサロやモネ、ルノワールとの交流は続いた。

私自身、印象派画家なのかあまり考えたことはない。光や風、自然の移ろいを重視する印象派のスタイルと違って、私は題材と構図が重要だと思っている。もちろん色彩やタッチについては印象派仲間から多くを学んだが目指すところは少し違うような気がする。

​私は、生まれ故郷の南フランスの風景が好きだったのでプロバンスで制作することが多くなりパリの画家仲間とは疎遠になってしまった。
不思議なもので私がパリにいかなくなってからパリで私の作品が売れるようになったのだ。
印象派への評価が高まると同時に私の作品にも光が当たるようになったのだ。つまり、私も印象派の一人として扱われているようだ。
世間が私をどのように分類するかはどうでもよいことだ。私は好きなものを好きなように描くだけなのだから。

とはいっても、画家である以上、自身の絵が売れることは嬉しいものだそれが次の作品作りのエネルギにーになるのだ。

​そんなわけで私の作品を買ってもらえた嬉しいのだが・・・・